渡麓・菅原神社,別名・水分(みくまり)神社の物自体です。
18世紀のドイツの哲学者カントが三大批判書の中で説いた: 人間の認識は、感性という形式、悟性(知性)という形式、理性の形式によって制限されているがその背景には人間の知覚が及ばない物体の根源、神の領域にある物自体(noumenon)が存在すると明言してるのを思い出したから。
その神社は、僕が住んでる白川の川沿いに数年前に完成した素敵な超長い散歩路の途中に加藤清正公の設計で創建された排水路の直ぐ横上にそびえ立つ僕が大好きな別名・水分(みくまり)社なんで,良く瞑想にふけりに行ってますよ。
渡麓・菅原神社の物自体”の未だ完成してない工程中の作品は別の未完成の大作・”京都の三十三間堂の内存”と二対一体にした斬新的試みで,どんな建造物にも美学的観点から見て一体化し順応できるように絵画上部を故意に弓形にして西洋の障壁画的特殊性を潜ませてる。
談 Nori Ushijima